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お別れ

2011年09月17日 土曜日 3:39 by "kazkondo"

ここ1ヶ月くらいで沢山の方とお別れしました。

立て続けにこれほど沢山の人と、しかもとても近しい人とのお別れが重なり、ここにこうして書くまでに少し時間がかかりました。

ひとりはとあるミュージシャンのお母様。直接お会いしたことはなかったけれど、そのミュージシャンの方とは長いおつき合いだし日ごろ大変お世話になっているので、告別式に参列させていただきました。普段元気いっぱいなやんちゃ炸裂のその先輩ミュージシャンも家族や亡くなられたお母様の前ではひとりの子供に。その方は何年もの間日本を代表する素晴らしい音楽家ですが、幼少期にお母様の影響で音楽に目覚めたことを知りました。いわばお母様が日本の音楽界のある部分を発展させるきっかけを作ったのです。そんなことを思いながら、感謝をしつつお別れをしました。

そしてひとりは年齢は少しだけ下だけど同世代の同じサックス奏者、臼庭潤。熱帯のトラや単発サポート、レコーディング仕事などいろいろ誘いました。家がわりと近かったので車に乗せて一緒に仕事にいくことも何度もありました。お通夜も告別式にも参列しましたが、来ているミュージシャンの幅広いこと。とても幅広く活躍していたことに改めて感心しました。自らの命を絶ったことは想像するだけでももの凄い決心だったんだと。。。残された潤の子供をご両親があやす姿に胸が張り裂けそうなくらいやりきれない気持ちになりました。棺の中の潤の顔を見ても実感が湧かなかった。目の前にいる身体には魂が抜けてるということが理解できなかった。式場でずっとかかっていた潤の演奏が本当に素晴らしかった。短かったけどめちゃ太い人生だったんだな。

そして本当に大好きだったドラマー、セシル・モンロー。ドラムも彼の音楽も好きだったけどなんといっても彼の人間が大好きでした。先日告別式に参列させていただいたけれど、実感が湧きません。実際に祭壇のセシルの写真と何百人の人の喪服姿を見ても、未だに信じられない。っていうか、未だに理解できない。でも考えるたびに涙が出てきます。セシルとはいろいろなセッションでも一緒にやったけど、ベースの佐藤慎一氏のバンドでたくさんご一緒させていただきました。中でも、そのバンドのレコーディングで2004年に一緒にNYに行った思い出は強力に身体に残っています(写真がこのサイトのPHOTOSのところにあります。http://www.kazuhikokondo.com/portfolio)。NYに着いたら空港にセシルのお父さん、お姉さんが迎えに来てくれていて、久しぶりにご家族に会ったセシルはまさに子供に戻ってかわいかった。翌日からのレコーディングにも毎日お父さんは遊びに来てくださり、演奏するセシルを見てとても嬉しそうにしていました。セシルもレコーディングには実家から通って久しぶりの家族との時間をとても楽しんでいたようでした。もっともっと一緒にやりたかったしもっともっと沢山音楽のこと聞きたかった。残念でしかたがありません。彼と一緒に演奏できたことは僕の誇りですしとても大切な財産です。しっかりと身体に残しておきます。ありがとうね、セシル。

そしてトロンボーン奏者の望月誠人。年は一つ下で、17、8年前に松岡直也さんのグループで一緒にやっていました。当時はジャズフェスも盛んだったしツアーもやっていたので随分たくさんやりました。その後ちょこちょこ会ってはいたけれど僕はだんだんとポップスの仕事から遠ざかってしまい彼が普段どんな仕事していたのか詳しく知らなかったのですが、亡くなったことを聞いて彼のブログを読んで驚きました。ジャニーズ系のありとあらゆるアイドルやグループのバック演奏だけではなく、バンドリーダーやアレンジ、ストリングスのアレンジなんかもやっていて寝る暇もないくらい忙しかったようです。嵐やTOKIO、V6や20th Century、KinKi Kidsやあややなど、アイドルに疎い僕でも知っている豪華な仕事ぶりです。凄いなあ。。。

実はこれ以外にも亡くなった方がいまして、なにがどうなってるの?というくらい3日に1回は訃報を受け取るといった状況でした。

セシルの場合はほんとに突然の不慮の事故だったので、セシル本人が一番驚き自分の実感がないんじゃないかと思ったので、告別式の前までは受けていた仕事場に彼は来ているような気がして、亡くなって少し後のボディ&ソウルでのウイリアムス浩子さんのライブに勝手を言って数曲参加させていただき会いに行ってきました。告別式が終わって本人もわかったのでしょうか。言葉の表現がいいかわかりませんが、体験したことのない、それは素晴らしい音楽葬でした。

葬式に出ると、自分の時はこんなに沢山の人に来てもらえるんだろうか、なんて考えます。

人は誰も死ぬことだけは決まっています。

もし運命というものがあり、死ぬタイミングも決められているのなら、病気であろうが事故であろうが自らの決断であろうが、それもまた受け入れるしかないのでしょう。

そう考えると死ぬことが怖いことだとはあまり思わなくなります。

でも、その順番が来るまでは自分にできることを全力でやらなければいけません。

誰もが満足してその時を向かえるわけではないでしょう。

無念さが残っていながらいかなければならなかった人のためにもできることを全力でやらなければなりません。

ついにその順番が来たとき、少しくらい満足できるといいなぁ。

先にいってしまった方々に、これまで本当にありがとうと感謝するとともに心からご冥福をお祈りいたします。